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表層: 個の表面(世界への表現)
2層:後天的理性ノイズ(優しさ、情、社会規則、常識、責任、執着)
3層:個の本質(独自の本質的欲求。性格の源。遺伝子+ランダム?)
4層:性別の本質(男or女によっての生き方、幸せ観、父性・母性の源)
5層:種ごとの本質(ヒトの場合:精神力を求める。理解者を求める。他人を求める源)
6層:生物の本質(生きる本能。食べる寝る生殖するの源。愛(思いやり)の源。幸せという快感を求める。)
?層:世界の本質(あるとは思うが理解不能)
色々考えた結果のヒトの持つ行動源。
まずは、このうち、「行動源」になってしまっては自身と周囲の幸せを妨害するものはノイズの層。(だからノイズと表現しているわけだが)
ノイズを除去・制御するためには、自身が真に何を求めているかを、自身の個の本質を「理性的な思考で」理解しない限りは不可能。
個の本質を理解するにはそれ以下の層を全て除外して考えぬかないと導き出せない。
優しさ とは「行動源」では有り得ない。自分基準な意見を押し付ける自惚れた愚かな行為。
優しい は世界へ行動を反映した「結果」でのみ存在する。
しかし世界に対しての唯一絶対の「優しさ」がある。
それはノイズを除去した自身の本質を世界へ表現すること。
そして世界に自身を選定させ、また、自身も世界を選定すること。
そして、それによって、本質に惹かれ合う真の理解者(友人、伴侶)を求めるべきだ。
ヒトの本質は一人では生きてはいけない。理解者の存在はヒトの本質的な幸せだ。
真の理解者を求める。
また、つまるところヒトの本質は精神力を求める。心の弱さに克ちたいがために。
誰かに支えられたくなるほど弱いから。
しかしこれに関しては心が弱いというよりは、世界が歪んでいて、心の防御力以上に世界や社会が攻撃的だから。
元々自然の摂理である生命の弱肉強食が人間界には無いが、そうそう都合悪いものだけがなくなるわけがない。
代わりに精神の弱肉強食があるということ。
人間社会は都合よく幸せな生を維持するために色々と見えないよう隠してきれい()に見せている。
正当化している。幸せのために。知恵で。
そんなうえに立っていて、それに対応する身体的進化もできない(隠されてるから)のだから、その分の精神力が求められるのも道理だ。
しかしきれいに見えるように隠されてるゆえに、防御体勢も間に合わない。精神力を高める準備がない。
無防備にも精神を殺される。弱いものから殺され自殺していく。
日本だけで毎年の自殺人数は3万人以上。
うまい具合に弱肉強食がない代わりの精神の弱肉強食になっているだろう。
ゲーム(ゲーム性のあるもの)が好きな私としては、ある意味、人間は人間社会は面白くできたものだと皮肉をこめて思う。(早くルールを知りたかったけど。)
あえてゲーム的な言い方をすれば、この世界で人間役としてのクリア条件は、この世界で可能な限り誰も殺さず(誰にも邪魔されず)ノイズを除外した自身の本質的欲求(理想)を世界へ表現し全ての層の本質的欲求含めて達成できる生き方をすること。
自分は誰かの精神を殺していないと思ったひと…知らず知らずに相手の精神を殺してる、または着実にダメージを与えている可能性は大いにある。
生命を失わせなくても廃人に追い込んだりね。
そのダメージは自分に跳ね返ってくる。物理的な復讐や、また、思考や罪悪感といった形で。真の幸せが遠のく。
しかし、それでも誰かを殺す・傷つける行動になっても自身の本質にとって「本当に」必要であるならば、自己中な優しさで他人を傷つけないように身を引くなんて愚かな行為はせず自身の本質を貫き続けるべきだろう。
他人にも本質がある。
他人は他人自身によって本質を貫くべきであり、邪魔するものは明確に拒否すべきだろう。
また、他人が他人自身の本質に気づいてない可能性のある場合、可能ならば気付かせてあげないと話が進まない、または不幸になったり、時間の無駄になるだろう。
本当に気付く見込みの無い場合、幸せへの足手まといになるので見捨てた方がよい。
幸せになるための個の本質的欲求は、後天的に知れる「現実」に対応していない。
個の本質を、この現在の世界の上で実現するための方法が「理想」となる。
世界の本質と現在の世界・社会を隅々まで理解し、実現可能な道を思考で作らなければ、それは理想ではなく妄想、夢物語だ。
個の本質の存在によって、自分の幸せは相手の幸せとは違う。
相手もこう行動された方が幸せだろう、などと自身の幸せ観を勝手に押し付け行動するのは愚か過ぎる自惚れた行為。
ゆえに、常に世界へ反映すべき行動は、自身の個の本質から導き出した「理想」、
つまり本質的欲求を現実世界用にカスタマイズした最終的な自身の理想のイメージ以外はありえない。
最初は演技でもいい。
常識や、自己基準な情や優しさ、幸せ観、執着、それらからくる責任、それらを行動源にするのとは違い、余ほど世界的であり「優しさ」がある。
ヒトは、ヒトの持つ能力、学習能力と知恵を活かし
幸せを知り、幸せを求め、絶望を知り、生き方を求め、死に方を求める。くらいしかできないのだろうと思う。
歴史や先人や周囲の話から学習し、回避できる危機やランダム要素での事故死は避けたい。
妄想でない現実を知り自身の本質を知り理想を目指す生き方を求めるべきだ。
そして生き方を決めまっとうし、死に方を求めるところまでいければ、満足だろうか。
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